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「やわらかな遺伝子」

 原タイトルは"nature via nurture"つまり「生まれは育ちを通して」です。
 どういうことかと言うと、人間を形作るのは生まれか育ちか?つまり遺伝子によって決まっているのか環境によって作られていくのか?という昔からの論争についての答えがタイトルになってます。"nature or nurture"でも"nature vs nurture"でもなく、"nature via nurture"であると。その2つは対立するものでもなく、ゼロサムでもないと。
 遺伝子は個体を操るわけでもないし青写真でもない。またただの遺伝形質の運び屋でもない。一生の間活動を続け、お互いにスイッチをオンオフしながら、経験に答え、作ったものを改造する。つまり遺伝子は、われわれの行為の原因でもあうと同時に結果でもある、すなわち"nature via nurture"であるということです。このことを様々な事例を挙げ、手を変え品を変え説明していきます。そのいろいろな例が面白いので蘊蓄集としても楽しめます。「ゲノム23の物語」と似た雰囲気です。
やわらかな遺伝子やわらかな遺伝子
(2004/04/28)
マット・リドレー中村 桂子

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性格のばらつきの40%強は遺伝的な要因によるもので、共通の環境(たいていは家族)の影響が10%未満、個人が経験するユニークな環境(病気事故から、学校での交際関係に至る何もかも)の影響がおよそ25%になる。残りの25%程度は、測定誤差である。

 25%は誤差であると言い切られると、信じちゃう。潔い。w

 性格と同程度の遺伝性をもつのが体重だ。きょうだいの体重の相関は、ある研究によれば34%、親子ではこれより少し低くて26%である。この類似性のうちどれだけが生活と食べ物の共通性によるもので、どれだけが同じ遺伝子をもつことによるものなのか?実は、同じ家族の中で育てられた一卵性双生児には80%の相関があるのに対し、一緒に育てられた二卵性双生児の類似性は43%にすぎない。これは、食習慣よりも遺伝子のほうが影響が大きいことを示唆している。では、容姿の場合はどうか?養子と養父母の相関はわずか4%で、同じ家族の中の血縁関係にないきょうだい同士となると、相関はたったの1%だ。一方、別々の家庭で育てられた一卵性双生児では、72%もの相関がある。
 すると、体重は食習慣でなく主に遺伝子によって決まるのだから、食事のアドバイスなどうっちゃって思い切りアイスクリームに食らいつけという結論になるのだろうか?もちろんそうではない。この研究結果は、体重が増える原因については何も語っていない。ある家族の中で体重に差が出る原因を、ある程度明らかにしているにすぎないのだ。食べる量は同じなのに、体重が増えやすい人とそうでない人がいる。西洋社会で肥満が増えているのは、遺伝子が変化しているからではなく、食べる量が増え、運動量が減っているからだ。しかし、皆がほぼ同じだけの食べ物にありつけるのなら、最も体重が増えやすいのは、ある種の遺伝子をもつ人々となる。つまり、体重の平均の変化は環境によるが、ばらつきは遺伝子によるのだ。

 なるほど。平均の変化は環境に依るがばらつきは遺伝子に依るんだ。統計見るときには参考にし、よく考えて見よう。

IQの遺伝性についての研究は、対象が双子であれ、養子であれ、両者の組み合わせであれ、次第に同じ結論へと収斂している。IQは、約50%が「相加遺伝的」[ひとつの遺伝的性質ではなく、複数の働きの総和として決まっているということ]で、25%が共通の環境の影響を受け、残りの25%は、固体ごとの独自の環境要因に左右されているというわけだ。このように知能は、家族の影響をかなり受けやすいという点で、性格とは異なる。インテリ家庭で暮らしていると、インテリになりやすいのである。

 これは職業上感じている感覚に非常に近い。遺伝部分に関しては分からないけども。また、遺伝部分はもっと小さいと信じていたけども。

 教育とは結局、頭にいっぱに知識を詰め込むことではなく、生きていくうえで必要な脳の回路を鍛え上げる事だ。鍛え上げることで、脳の回路は自在に働く。

 これもまた普段心がけていることで、大賛成。思考回路を作ってあげるのが授業だと思っている。初歩の大部分は反射的でよい。大分先になってから創造性が出てくるだろうが、私の仕事の範疇ではないと思っている。もちろん、将来思い出してもらってその助けになればいいなという程度の工夫はしている。TVなどで、中等教育でやれ創造性だやれプレゼンだ個性だと言っている連中がいるが、現場を知っているのか子ども達を指導したことがあるのかと問いたい。考えられない。話がそれましたね・・・。

いまや科学界では、性的指向が思春期の経験によってもたらされるとは考えてない。思春期には、もっと前に露光したネガが現像されるにすぎない。大多数の男性が女性に惹かれるのに、男性に魅力を感じる理由を知るには、おそらくずっと幼い時分までさかのぼって調べなければならない。原因は子宮のなかにある可能性さえあるのだ。

 これ分かりやすい。「生まれか育ちか」を考えるに当たって、育ちってなに?と考えさせられる。

 ヴェルテルマルク効果[ウェスターマーク効果]:幼少期から一緒の生活環境で育った相手に対しては、次第に性的興味を持つ事は少なくなるという現象である。刷り込みの一種。の話しのなかで

 それでも、同じ家族のなかで育った男女が近親相姦を嫌がるのは、言語と同じように、臨界期を迎えるまでに刷り込まれる習癖の明白な一例に見える。ある意味で、この習癖は紛れもなく「育ち」と言える。関係を避ける相手が幼いころ一緒に過ごした仲間である以上、それを生まれる前から知っているわけではないのだ。それでいて、おそらくは特定の年齢で遺伝子のプログラムの準備ができ、その結果必然的に習癖が発現するという意味では、「生まれ」でもある。したがって私はこう言いたい。「育ち」を身につけるために、「生まれ」が必要なのである。

 遺伝子だけでは働かない現象がある。環境=育ちの影響で発現するものがありますよということで、分かりやすい例だと思う。

「準備された学習」:刷り込みとはほぼ正反対の概念で、人間にも動物にも、あらかじめ何かが身に付いているので、学習しやすいこととしにくいことがある。という考え

ミネカは、実験室で育てられたサルはヘビを怖がらないが、野生の環境で育ったサルは皆ひどく怖がるという、1964年から知られている事実を手がかりとした。しかし、すべての野生のサルに、パヴロフの条件反射をもたらすような、ヘビに襲われた経験があるわけではない。ヘビに襲われるとたいていは死んでしまうのだから。ヘビに咬まれると毒にやられるということは、条件づけによって学習する機会があまりないのである。そこでミネカは、「サルは、仲間がヘビに対して示す反応を目にすることによって、ヘビへの恐れを身につけるに違いない」との仮説を立てた。実験室で育ったサルは、この経験がないために、恐れを身につけていないのだ、と。
 まず彼女は、野生の母ザルが捕獲されてから産んだ子ザルを6匹見つけ、それぞれ別々にヘビを見せた。どの子ザルも別段恐がりはしなかった。食べ物を取るのにヘビの方へ手を伸ばさないと行けないときにも、腹を空かせた子ザルたちは躊躇なく手を伸ばした。それからミネカは、母ザルが一緒にいる場で子ザルにヘビを見せた。すると子ザルは、すぐに母親の恐怖の反応―檻のてっぺんまで登り、口をぱくぱくさせながら、耳をそばだてて顔を歪める―を覚え、それ以来、プラスチックのヘビの模型さえも怖がるようになった(これ以来、ミネカは扱いやすいおもちゃのヘビを使って実験している)。
 続いてミネカは、この恐怖が親だけでなく見知らぬサルからも容易に学習され、簡単に伝播することを示した。サルは、ほかのサルを見てヘビを怖がることを身につけるが、そのサルも、別のサルから同じようにして恐怖を身につけているのだ。次のテーマとしてミネカは、サル同士で、ヘビだけでなく例えば花への恐怖も同じように教えられるかを確かめたいと思った。問題は、最初のサルにどうやって花への恐怖の反応をさせるかだった。ミネカの同僚チャック・スノードンは、ビデオテープで当時開発されたばかりの技術を利用すればいいと提案した。サルがビデオテープからも学習できるのなら、ビデオに手を加えて、「教える側の」サルが、本当はヘビを怖がっているのに花を怖がっているように見せることもできるはずだった。
 この案はうまくいった。サルは、ほかのサルのビデオを見て、本物に対するのと同じように反応してくれたのである。さっそくミネカは、画像の下半分に別の映像をつないで、サルが平然とヘビの模型の方へ手を伸ばして食べ物を取る映像と、サルが花を怖がっている映像を作り、これを実験室で育った未経験のサルに見せた。加工を施していない「本物の」テープ(ヘビを怖がり、花には平然としている)に対しては、サルは即座にヘビは怖いと結論づけたが、加工した「偽物の」テープ(花を怖がり、ヘビには平然としている)に対しては、そのサルはおかしいと結論づけたようだった。花を怖がるようにはならなかったのである。
 これは、私の見たところ、ハーローが針金の母親で見つけた事実と並ぶ、心理学における偉大な実験結果のひとつだ。この実験はさまざまなやり方で繰り返されているが、いつでもはっきりと同じ結論が出ている。サルは、ヘビへの恐怖はいとも簡単に学習するが、ほかの対象への恐怖はなかなか学習しないのである。これは、学習にもある程度本能の要素があることを示している。ちょうど、刷り込みが、本能にもある程度の要素があることを示しているのと同じだ。人間が白紙状態で生まれるという説の信奉者たちは、躍起になってミネカの実験にけちをつけようとしているが、今のところ誤りは見つかっていない。
 サルと人間とは違うが、人間もよくヘビを怖がるのは間違いない。ヘビへの恐怖は、最も一般的な恐怖反応のひとつだ。偶然かもしれないが、たとえば親がヘビを怖がるさまを目にするといった代理体験によって、自分も恐怖を身につけたという人は多い。人間はまた、クモ、暗闇、高所、深い水の中、閉所、雷もよく怖がる。どれも石器時代の人々を脅かしたものだが、現代生活におけるはるかに大きな脅威―車、スキー、銃、電気のコンセント―は、そうした恐怖反応を引き起こさない。ここに進化のしわざを見ないわけにはいかない。 人間の脳は、石器時代に重要な意味があった恐怖を学習するように、あらかじめ配線されている。そして、進化の過程でそのような情報が過去から現在の脳のデザインに伝わる唯一の手だてが、遺伝子なのである。遺伝子とは、過去の世界に関わる事実を収集し、自然選択を通じてそれを未来の好適なデザインに生かす、情報システムの構成要素なのだ。

中略

 それでも、恐怖反応は学習しなければならない。また人間は、車や、歯医者のドリルや、アザラシの毛皮のコートに対する恐怖を学習することもできる。パヴロフの条件反射は、どんな種類の恐怖も作り出せるのだ。しかし、車よりヘビのほうが、恐怖はすばやく身につき、長続きするのは確かで、こうして社会的学習がなされる。(人間の)被験者に、ヘビ、クモ、電気のコンセント、幾何学的な形状などへの恐怖を条件付けする実験では、ヘビとクモへの恐怖が、ほかのものへの恐怖よりもはるかに長続きした。ヘビはまた銃に対する恐怖を(バーンという大きな音によって)条件付けた結果もやはり、ヘビへの恐怖が銃への恐怖よりも長続きした。―ヘビはバーンという音を立てないのに、である。

中略

 この話の何より素晴らしい点は、本書でここまで検討してきたすべてのテーマを結びつけているところだ。一見したところ、ヘビへの恐怖はまさしく本能のように見える。それは独立したモジュールで、自動的で、適応性も示す。しかも遺伝性が高い―双子の研究によって、正確と同じように恐怖反応も、共通の家庭環境ではなく、共通の遺伝子によるところが大きい事実が明らかになっている。それでいて、ミネカの実験は、恐怖反応が完全に学習されたものであることも示している。かつて、これほどまで明白に「生まれは育ちを通して」を実証する事例があっただろうか?学習は、それ自体が本能なのである。

 この実験感心した。著者本人も言っているように時間のない人はここだけ読めばいいくらい明確な例。遺伝子と経験の相互作用ってそういうことかと納得してもらえるはず。
 あと、単に事実としても面白い。ヘビへの恐怖は学習されやすいってすごくないですか?

しかし、社会学以外の学問は、「下位」の説明をうまく取り込みながら、何も失ってはいない。心理学は生物学を利用し、生物学は化学を利用し、化学は物理学を利用している。

 ちょっと文脈がとれなかった。ある意味で社会学を批判しているんだよね。経済学や法学やなんかを「取り込んで」ないのかな。もしくは何かを「失った」のかなぁ。

八歳未満の子どもたちに「このなかでどの子が一番強い?」と尋ねると、全員が飛び上がって「僕だよ!」と大声を上げる。ところがこの年齢を超えた子は、「あいつだ」と言いはじめる。

 面白いね、確かにそんな感じ・記憶あるね。


生まれと育ちの論争の歴史
本書で私がたたえた実験
ローレンツのガンのひな、ハーローのサル、ミネカのおもちゃのヘビ、インゼルのハタネズミ、ジプルスキーのハエ、ランキンの線虫、ホルトのオタマジャクシ、ブランチャードの兄弟、モフィットの子どもたち
は、すべて経験に反応して働く遺伝子の存在を実証している。

ローレンツのひなは、環境によって与えられたものを親として刷り込むように、遺伝的にプログラムされている。
ハーローのサルは、ある種の母親を選り好む遺伝的傾向を示すが、母親の愛がなければうまく育たない。
ミネカのヘビは、本能的な恐怖を誘発するが、それは恐怖反応を示す仲間がそばにいる場合にかぎられる。
インゼルのハタネズミは、惚れるようにプログラムされているが、それもある種の経験に反応してのことである。
ジプルスキーのハエの目には、手探りで脳に向かう遺伝子が備わっているが、その遺伝子は途中で出くわす環境に反応している。
ランキンの線虫は、社会的環境に置くことによって遺伝子の発現を変化させる。
ホルトのオタマジャクシがもつニューロンの先端には、周囲の状況に応じて遺伝子を発現させる成長円錐がある。
ブランチャードが調べた、多くの男の子を産んだ母親の子宮は、母親の遺伝子を通じて、次に産む男の子がゲイになる可能性を高める。
モフィットの調べた虐待児は、反社会的な行動を示すように育つが、ただしあるタイプの遺伝子をもっている場合のみである。
これらの実験は、遺伝子がいわば感受性のかたまりで、生物に融通性を与える手段であり、まさしく経験のしもべであることを、間違いなく示している。「生まれか育ちか」の時代は終わった。「生まれは育ちを通して」の時代よ、万歳!


 結論は分かってた本ですが、なかなか面白かった。どなたかの書評で書いてあったことをマネさせて頂きます。m(_ _)m
 チャールズ・ダーウィン、「優生学」のフランシス・ゴールトン、ウィリアム・ジェームズ、「突然変異」の発見・「メンデルの法則」の再発見のヒューゴー・ド・フリース、グレゴール・メンデル、「条件反射」のイヴァン・パヴロフ、ジョン・ブローダズ・ワトソン、エーミール・クレペリン、「精神分析」のジグムンド・フロイト、エミール・デュルケーム、フランツ・ボアズ、ジャン・ピアジェ、「刷り込みのコンラート・ローレンツのうち半分くらい知っている方か、
 「生まれか育ちか」に興味がある方か、
 「進化論」に興味のある方、私の場合はこれですが、は楽しめるのではないでしょうか。
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 進化生物学を学ぶアマチュアです。本業は数学教師です。ほとんど自己満足の日記と化してますが、コメントどんどん下さい。質問・議論・アドバイスも歓迎です。

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